ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

『信長公記』を読み解くその9ー桶狭間に清州の重臣達は参加したのか?

ランキング参加中日本の歴史熱田神宮を辰の刻(午前7時~9時)に立った信長主従5騎+足軽200人は先ず鳴海城の付城つけじろである丹下砦に行き、そこから善照寺砦に入ります。信長は何のために丹下・善照寺砦に立ち寄ったのでしょうか? 『信長公記』丹下・善照寺砦…

『信長公記』を読み解くその8ー信長はどのような秘策を持って出陣したのか?

ランキング参加中日本の歴史信長が大軍で攻め寄せてきた義元に対し、乾坤一擲けんこんいってきの戦いを挑むため桶狭間に向けて出陣する場面は、多くの歴史ドラマで描かれる有名なシーンです。 殆どのドラマでは信長が義元を討つ秘策を胸に秘して出陣するのです…

【補論】その3ー義元は満潮時に砦を攻撃していない。

ランキング参加中日本の歴史前々回私は『信長公記』では「無助様に十九日朝鹽しおの満干を勘かへ取手を可拂はらう之旨必定」と書いてあり、「(今川義元は)十八日の夜に大高城に入り、兵糧を入れ、助けが無い様に十九日朝に潮の満ち引きを考え、砦を攻撃してくること…

『信長公記』を読み解くその7ー信長は清州城でなぜ評定を行わなかったのか?

ランキング参加中日本の歴史前回までで「今川義元は永禄3年5月18日の夜には大高城にいた。」との説を論じてきました。 この説はまだ定説とはなってはいないですが、現在多くの歴史家達に支持されつつありますので、今後この説を前提に考察を進めていきたいと思いま…

『信長公記』を読み解くその6ー義元は18日何をしていた?②

ランキング参加中日本の歴史前々回「今川義元は5月18日沓掛で水野氏に対し懐柔工作を行っていた。」とする私説を披露しましたが、現在の私は別の考えを持っています。 図1:左:三河物語桶狭間記述書き下し文(雑史集続国民文庫) 右:原本表紙(次世代デジタルライブ…