ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

私見その2ー信長と義元の行軍時系列表を作成してみた①

ランキング参加中日本の歴史前回私は今川義元は信長が桶狭間に来ていることを知らなかった。との説を提唱いたしました。 現在では織田信長は迂回奇襲などせず桶狭間山の義元に向かって正面から突撃したとする「正面攻撃説」が通説とされてますが、この説だと大軍…

『信長公記』を読み解くその19ー今川の大軍はどこにいた?

ランキング参加中日本の歴史ゲリラ豪雨が上がり「空晴はれる」と信長は大きな声で「すハか々れ」と突撃を指示します。 図1:『信長公記首巻』桶狭間山信長突撃部分(改訂史籍収攬収録町田本)対して今川軍は「水をまくるか如く後ろへくはつと崩れたり(中略)今川義元…

私見その1ー信長はどこへ行った?②

ランキング参加中日本の歴史織田信長はどうやって「山際迄」行ったのか?に関して『信長公記』は一言も書いていません。なので今回は私の考えを述べてみたいと思います。 図1:『信長公記首巻』中島砦記述部分(改訂史籍収攬収録町田本)信長は中島砦で「あの武者は…

【補論】その5-義元は何故鳴海に行かなかった?

ランキング参加中日本の歴史今回はちょっと本題から外れて、今川義元は鳴海城の付け城善照寺砦、丹下砦、中島砦に対しどのような軍事行動を取ろうとしたのかを考察してみたいと思います。 従来の「正面攻撃説」では、19日早朝に沓掛を出陣し桶狭間山で休憩中に織田…

『信長公記』を読み解くその18ー信長はどこへ行った?①

ランキング参加中日本の歴史いよいよ「桶狭間の戦い」の考察も佳境に入ってきました。本日より『信長公記首巻』最大の謎について考えていきたいと思います。 図1:『信長公記首巻』桶狭間山攻撃部分(改訂史籍収攬収録町田本)信長は頸を持参して合流してきた前田…