ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

【総論】その1ー歴史研究のあり方に関して

藤本正行氏が1982年に「正面攻撃説」を提唱されたのを契機にして多くの歴史学者の先生方が多種多様な説を発表され始め、近年「桶狭間の戦い」に関する活発な議論が展開され続けています。
またインターネットの発展により私のような素人の歴史愛好家でもPCやスマホで簡単に歴史史料を見ることができるようになりました。(特に国会図書館のデジタルコレクションは今まで事前予約して直接館に行かなければ見れなかった史料がネットでダウンロードできるようになり大変重宝しています。)
また多くの歴史研究家の方々の説が書籍だけでなくネットでも公開されるようになり、私の考察も大きく進展いたしました。
只多くの先生方の説を読むにつけ非常に残念な気分にもなりました。歴史史料の裏付けの無い説を展開されている方があまりに多いからです。
歴史研究とは過去に書かれた史料を読み解き、そこから事実を探求する事です。史料の裏付けの無い説は単なる想像です。なのにどの史料のどこにこう書いてあるからと説明すること無しに「私は桶狭間の戦いを解明した。」と喧伝けんでんしている方が散見されます。
では歴史史料とは何を指すのでしょうか?
国会図書館は「過去に存在した事象を把握し筋道を立てるのに役立つ材料」と定義していますが、これでは抽象的過ぎて具体的に何を史料と呼ぶのか非常に不明確です。
私は歴史史料の定義は「書いてある事が事実であると確定できる物」とされていると考えています。
その中でも「当時発行された書状や通達」は最も信頼性が高く一次史料*1と呼ばれており、これが新しく発見される事で過去の定説がくつがえることが起こり得ます。
しかし「書状や通達」は歴史事象を断片で捉えた物でしかなく、これだけで全体の流れを掴むのは不可能です。
そこで実際の歴史研究では過去に書かれた書物を使い、そこに書かれていることが「真実であるかを吟味」しながら考察して行く場合が殆どです。
そして多くの真実が書かれていると評価された史料はほぼ「一次史料」と同等の扱いを受ける事があります。まさに『信長公記』がこれに当たります。*2
ところが現在「桶狭間の戦い」に関する説を発表されている先生方の話を読んでみるとこの「真実であるかを吟味」がされているとは思えない物が非常に多いのです。
例えば現在話題になっている「後退追撃説」を主張されているかぎや散人氏や竹内元一氏は『信長公記天理本』*3を史料として今川義元が大高城から漆山、高根山を通り桶狭間山に布陣したとの説を展開されていますが、天理本には全く義元の撤退経路に関する記述は無く、他の典拠となる史料も示されていません。ただ「こうであった筈だ」と言ってるだけなのです。*4
このように史料の裏付け無しでただ単に「こうだからこうであった筈だ」と言う理由付けで事実認定されているケースをよく見かけます。それが一般の歴史愛好家の方々であれば問題ないのですが、大学教授等の歴史専門の先生方だと頂けません。お陰であり得ない説が歴史事実として一般に流布されてしまっている事が多々あります。
簗田出羽守の件が上記のケースに当たります。桶狭間研究の第一人者である静岡大学名誉教授の小和田哲男先生は事ある毎に「簗田出羽守(通称正綱)」を取り上げ、彼が今川義元の情報を信長に伝えた事により一番手柄の栄誉に預かったと断言されておられます。しかし簗田出羽守が一番手柄として信長から賞されたとする史料は存在しませんし、小和田先生は典拠になる史料を明示されておられません。実際に簗田出羽守について分かっているのは彼が桶狭間後沓掛城主になった事だけです。
つまり現在の簗田出羽守一番手柄説は「桶狭間後沓掛城主になったのだから何らかの手柄があった筈だ」から出てきただけなのです。*5
なのに桶狭間研究の第一人者である有名な先生が「簗田出羽守一番手柄」を断言した為、現在では史実として世間に認知されてしまっています。
このように現状史料の裏付け無しに色々な説を唱える歴史専門の先生方が非常に多いのが現状です。中には小和田先生のようにいつもは典拠となる史料を提示して自説を発表されている方でもこのような説を出している場合もあり、現在「桶狭間の戦い」に関するあまりにも多くの説が提唱され混沌としている状況です。
私は巷に氾濫している学説に対し明確に検証する公的な機関が必要だと考えています。

*1:国会図書館では一次史料の定義を「その時、その場で、その人が」の三要素を満たした物としており、公卿等が書いた日記も含めていますが、日記に関しては伝聞情報も含まれている為私は「その時、その場で、その人が実際に体験した事」とすべきだと考えています。

*2:奈良時代から鎌倉時代までは朝廷や幕府が編纂へんさんした「日本書紀」や「吾妻鏡」等の書物がありましたので主にこれらの書を研究すれば良かったのですが、室町幕府はこのような公式書を出していません。その為室町時代の歴史研究はそれ以前の時代よりも遅れているのが現状です。

*3:天理本に関しては4/21投稿の【補論】その1『信長公記天理本』についてで詳しく考察しております。

*4:「後退追撃説」に関しては7/21投稿の『信長公記』を読み解くその12-何故今川義元桶狭間山に陣取ったのか?②で細かく考察しております。

*5:簗田出羽守については7/14投稿【補論】その4ー簗田出羽守とは何者?で詳細に考察しております。