ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『信長公記』を読み解くその5ー義元は18日何をしていた?①

ランキング参加中日本の歴史『信長公記首巻』は天文21年(実際は永禄3年)5月17日*1今川義元沓掛に着陣の後、 図1:『信長公記首巻』31ページ(改定史籍収攬収録町田本)「十八日夜に入大高の城へ兵糧入無助様に十九日朝潮の満干を勘かへ取出を可払之旨必定と相聞…

『信長公記』を読み解くその4ー何故天文21年と偽ったのか?③

ランキング参加中日本の歴史何を目的に太田牛一は弘治2年(1556年)と弘治4年(1558年)の記事の間に桶狭間の戦いを天文21年(1552年)のこととして入れたのでしょうか? その答えとして最近「信長の軍勢を少なく見せたかったから」との説を目にします。 つまり「永禄3…

『信長公記』を読み解くその3-何故天文21年と偽ったのか?②

ランキング参加中日本の歴史前回までで太田牛一がわざと「天文21年(1552年)壬子」と記したことを述べました。 では桶狭間以外での記述はどうなっているのでしょうか? 『信長公記』の巻一から巻十五は1年毎に纏まとめられたものなので、巻頭に和暦が書かれている…