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自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

【補論】武功夜話考察その5ー原本には何が書かれていた?

織田信長の側室「生駒の方」の生家である生駒家の19代当主生駒英夫氏が「吉田蒼生雄氏は小説の題材を求めて当家に度々やって来ていた。」と発言したことに対し、蒼生雄氏は何の反論もせずに黙殺しています。
これで1987年に出版された『武功夜話』は吉田蒼生雄氏が創作した小説であることは明白となりました。
まあ私に言わせて貰えば、『武功夜話』が桶狭間の戦いの場面で、今川義元が谷間(田楽狭間)で休憩中に信長に奇襲されたと書いてある時点で小説以外の何物でも無いのですがね。*1

では伊勢湾台風で壊れた蔵から出てきた段ボール50箱以上にも上る「前野家文書」*2はどうなのでしょう。これを見た事のある三鬼清一郎名古屋大学名誉教授と小田和哲男静岡大学名誉教授はともに、「紙質や墨の状態から見て江戸時代に書かれた物と見受けられる」と証言しています。*3
数ある「前野家文書」の殆どは江戸中期から幕末にかけて書かれたものとされていますが、通称「3巻本」とされるものは江戸時代初期の寛永11年(1634年)に吉田家16代当主の吉田雄翟かつかねが書いた物とされています。*4
その為この『3巻本』が「前野文書」群の中で最も古い物と見られ、これ以降5巻本、21巻本と時代が下るにつれて後世の脚色が盛り込まれていったと考えられます。
「前野文書」の『3巻本』は日本史学者の松浦武氏が原本を忠実に書き写した「翻刻本」が1995年に出版されています。*5
「翻刻本」とは草書体を楷書体に書き直しただけの本を指します。ですのでこの翻刻本を読めば、「3巻本」にどれだけ史実と考えられる事が書かれているかが分かると思い、図書館へ行って調べてきました。
では翻刻本には何と書いてあったかと言うと、
①まず桶狭間の戦いの場面では、
「前野将右衛門は当時仕えていた佐々成政が信長から丹下砦に来るよう命令を受けた為、桶狭間に急行した。しかし信長本隊に合流しようとした時には今川義元が討たれた後だった。」と簡潔に記されているだけでした。『武功夜話』では前野将右衛門と蜂須賀小六が農民に変装して義元本隊に酒を献上したと書かれていますが、3巻本にはこのような記述はありませんでしたし、義元がどこで討ち取られたのかも書かれていませんでした。
②次に「墨俣築城」の話はどうでしょうか?
残念ながら永禄9年前野将右衛門と蜂須賀小六が木下藤吉郎から「墨俣に城を築」く手伝いをするよう依頼を受け、木曽川の川上から筏いかだを流して墨俣で組み立てたと書かれていました。
しかし、柴田勝家や佐久間信盛達が以前失敗していたとか、僅か何日間で城を築き上げたとの描写は無く、この功によって秀吉が織田家の中で大出世を遂げたとの話もありませんでした。
③生駒屋敷についても
木下藤吉郎が織田家に仕官する前に生駒屋敷にいたとは書かれていますが、信長がこの屋敷で藤吉郎を見出して家臣にしたとの描写はありませんでした。
また信長の側室の名は「吉乃」では無く、「久昌庵きゅうしょうあん」となっていました。*6
このように「3巻本」を一読(図書館で3時間ほどかけて流し読みしただけなのです)してみると『武功夜話』に書かれている多くの話が江戸期以降に脚色された物であり、原本には荒唐無稽な話は書かれていない様に見えます。
では『3巻本』に書かれている事は史実だと言えるのでしょうか?

*1:武功夜話では「蜂須賀小六と前野将右衛門が今川義元に酒と肴を献上し、谷間で休息するよう仕向け、信長にその場所を教えた。」と書かれています。このような荒唐無稽な話が書かれている本をなぜ歴史学者の先生方は完全否定できないのか不思議でなりません。

*2:現状使われている「武功夜話」の言葉は吉田蒼生雄氏が書いた小説を指している場合と、壊れた蔵から見つかったとされる古文書を指している場合が混同されており、非常に分かりにくくなっています。なのでこのブログでは蒼生雄氏が書いた小説を『武功夜話』と呼び、昭和34年(1959年)に見つかったとされる古文書群を「前野家文書」と呼ぶことにします。

*3:9/7投稿「武功夜話考察その2ードタキャン後に行われた原本調査の結果は?」参照

*4:「3巻本」の巻頭に寛永戌いぬ吉田孫四郎(雄翟かつかねとのルビ有)と書かれています。寛永期に戌年だったのは1634年しかありません。

*5:松浦氏は吉田蒼生雄氏から原本のコピーを頂いて翻刻したと語っています。 松浦武・由起氏著「武功夜話研究と三巻本翻刻」おうふう社刊

アマゾンに中古本が出品されていますが、2万円以上と高額です。図書館も全国で16館しか蔵書していません。

*6:生駒家19代当主の生駒英夫氏は吉田蒼生雄氏は先代の当主から「信長側室の事を当家で久菴さんと呼んでいる」と聞いて「久庵」との名にした。その証拠に「菴」では無く、「庵」となっていると語っていますが、原本に「菴」と書いてあったが翻刻時に「庵」なった可能性がある為、この事を持って原本が偽書であるとは言えないでしょう。