『武功夜話』を書いた吉田蒼生雄氏は東京大学史料編纂所からの原本調査依頼を受諾しておきながら、調査当日になって急きょキャンセルして調査員達を追い返してしまいました。
それにしても吉田氏は何故一旦調査依頼を応諾しておきながら、当日になって拒絶してしまったのでしょうか?
偽書説論者の先生方は「原本が作り物であることがバレるのが怖くなってドタキャンしたに違いない」と言っていますが、それなら何故最初は調査依頼を受け入れたのか?
2~3日前ならまだ「事情が変わった」で済みますが、調査員達が現地にやって来た段階でのキャンセルは外聞が悪すぎます。
この事件が契機となって、歴史学界では「武功夜話偽書説」がほぼ既成事実となってしまいましたし、その上伊勢湾台風で見つかったとされる「前野家文書」(江戸時代の写本+紙の塊)の存在さえも疑問視する声が出始めました。
流石に吉田氏もこれはまずいと考えたのか、2000年に名古屋大学名誉教授三鬼清一郎先生を代表とする愛知県史編さん委員会*1の調査を受け入れ、吉田家が所蔵する膨大な古文書の一部の閲覧を許可しました。
三鬼先生は織豊時代研究の第一人者であり、『武功夜話』に対しては出版当初より批判的な立場を取っていましたので、*2偽書論者達の批判をかわすのに最適の人物であると言えます。
先生は調査後「閲覧した古文書は紙の質や墨の具合等から江戸時代に書かれたものと考えられる。」と公表しました。しかし「こちらが見たいと思っていた物は見せてもらえなかった」とも話されました。
つまり愛知県史編さん委員会の方々は、吉田蒼生雄氏が提示した史料しか調査できなかったのです。このように限定的な調査しか行えなかった事もあり、『武功夜話』の愛知県史への掲載は見送られました。
ところで三鬼清一郎先生が言った「見たいもの」とはどのような史料なのでしょうか?
それは『永禄洲俣記』と言われる「墨俣一夜城」に関する事が書かれている史料なのです。
前回説明しましたが、『武功夜話』にはそれまで江戸時代の創作と考えられていた「墨俣城」築城の経緯が詳細に描かれていました。
そしてこの記述に対して以前から「墨俣一夜城虚偽説」を唱えていた藤本正行氏が目の色を変えて嚙みついたのが「武功夜話偽書論争」の始まりでした。
『武功夜話』の墨俣城築城部分の原本であると吉田氏が言っている物が『永禄洲俣記』なのです。
ですので、この書がいつ頃書かれたものなのか?そして吉田蒼生雄氏が書いた『武功夜話』と内容が一致しているのか?が分かれば「武功夜話偽書論争」は決着が付くのです。
結局この調査で分かった事は「吉田家には江戸時代に書かれたと考えられる古文書が残っている」と言う事だけで、「武功夜話偽書論争」は泥沼にはまっていく一方でした。
この状況を憂いた静岡大学名誉教授で戦国史研究の第一人者である小和田哲男先生が2005年に吉田蒼生雄氏を説得して、自身が1人(何人かが助手として同行したようですが)で原本調査を行う事で了承を取り付けました。
小和田先生はかねがね藤本正行氏ら「武功夜話偽書説」論者に対して、「原本を見ずに偽書と結論づけるのは早計過ぎる」と批判をしていましたので、吉田蒼生雄氏も説得に応じたのでしょう。
先生は現地調査の結果を精査して、3年後の2008年に学術論文*3として発表しました。
その内容を要約すると「武功夜話原本の内、3巻本は寛永年間(1624~1645年)頃に書かれたものと見られ、史料的価値は非常に高い。残りの5巻本及び21巻本も紙質から見て江戸時代中期~幕末頃に書かれたものとみられる。こちらは江戸時代の創作と考えられるものが多く混じっているが、全ての記述が創作であるとは言えず、研究する価値はある。」と言う事です。
???武功夜話の「3巻本」?「5巻本」?「21巻本」???
話がややこしくなってきましたのでこの説明は次回に。
*1:古代から現代までの愛知県の歴史的発展過程を明らかにし、また、多くの貴重な資料を県民共通の財産として後世に残すために1994年4月に発足した県の機関。2020年3月までの26年間で全58巻(通史編10巻・資料編36巻・別編12巻)を刊行(愛知県公文書館HPより)。なお『愛知県史』は愛知県公文書館、愛知県内公立図書館、全国都道府県立中央図書館で閲覧できます。
*2:三鬼先生は『武功夜話』には江戸時代以降に書かれたと考えられる言い回し(自分の行動に敬語を付ける自敬表現等)が多く見られるとして、江戸時代以降の創作では無いかとの疑念を持っていました。
*3:「家伝史料『武功夜話』の研究」と言う題で2008年8月月刊「日本歴史」(日本歴史学界編吉川弘文館発行)に寄稿されました。なおこの本は現在WEBでの公開はありません。