永禄3年5月19日。
みなさん何が起こった日か答えられますか?
西暦では1560年6月21日です。場所は現在の名古屋市で起こりました。
ここまで書けば、答えられる方は多いのではないでしょうか?
そうです「桶狭間の戦い」が起こった日です。
日本史上最も有名な戦いの1つですね。
しかしこの戦いは歴史上最もあり得ない戦いなのです。
と言うと皆さんは「そんなこと分かってるわい、僅かな人数で大軍を打ち破ったからだろ。」とおっしゃるでしょう。
しかし「桶狭間の戦い」があり得ないのは、ただ少軍で大軍を打ち破っただけでは無いのです。
①まず、総大将の今川義元が合戦中に討ち死にしてしまったこと
②次に、わずか数時間で合戦が終わってしまったこと
以上の2点が通常あり得ないことなのです。
①では、まず合戦(特に野戦)で大将が討ち死にすることはまずありません。
なぜなら大将は前線には居ず、後方で戦闘を指揮し、負け模様になると真っ先に撤退するからです。*1
②では、戦国時代(特に初期)の合戦は日の出とともに始まり、日の暮れる前まで10時間以上かけて行われるのが普通でした。
なのに「桶狭間の戦い」では僅か2~4時間の短時間で大将が首を取られ、今川軍は2千人以上の死者を出したと言われています。
その為従来は、織田信長がこっそりと迂回して、油断して休憩している今川義元の本陣を背後から急襲したと考えられていました。
しかし近年ではこの考えが見直され、織田信長は正面から今川義元の本陣を襲い、首を取ったという説が主流となっています。
じゃあなぜ信長は勝てたのでしょうか?今川の大軍は何をしていたのでしょうか?
このように「桶狭間の戦い」は分からないことだらけなのです。
大学の教授を初めとして歴史研究家の方々は、色々と信長勝利の原因を述べています。
例えば「信長の情報網が今川軍より勝っていたからだ。」とか「信長の兵は兵農分離され、よく訓練された兵だから。」とかです。
しかし私にはどれも結局「あの戦国を制した天才織田信長だから勝てた。」と言ってるようにしか聞こえません。
ホントにそうなのでしょうか?
もう1度「桶狭間の戦い」を根本から洗い直してみる必要があるのでは無いでしょうか?
私は大学の教授でも無ければ、歴史研究家でもない、一介の歴史愛好家にすぎません。
歴史史料も原文で読めません。
それでも「戦国の英雄織田信長」では無く、「人間織田信長」の観点から自分なりに1つ1つ解きほぐしていってみたいと思います。
長い時間がかかる作業になりますが、宜しければ時々で良いのでお付き合いください。