織田信長と今川義元を比較する時よく「義元は駿遠三3国の大大名。それに対し信長は尾張1国だけの弱小大名。軍事力では義元の足元にも及ばない。」と言われます。
確かに図を見ても今川は現在の伊豆半島を除く静岡県と愛知県の東側約3分の2の広大な領地を有しています。
それに比べ尾張は愛知県の東側3分の1ぐらいしかなく、駿遠三各1国づつよりも小さいです。
更に尾張の南側知多半島は水野氏が支配しており、また地域は特定できませんでしたが、南西部の一部も二の江の坊主服部左京進に横領されていました。
ですので桶狭間合戦時点では、信長の支配領域はほぼ今の名古屋市以北しかありませんでした。(図2)
しかし図1をよく見てみると、遠江と駿河は国土の大半が山間部であり、平地は海岸沿いの僅かしかありません。三河も国土のほぼ半分は山間部です。対して尾張は国土の全体が濃尾平野にあり、殆どが平地です。
現在でも名古屋市だけで233万人の人口があり、信長支配地域である愛知県北西部の市町村合計人口は455万人にのぼります。
対して三河に該当する愛知県東部の人口は300万人、遠江・駿河に該当する静岡県中西部の人口が306万人、合計で606万人*1となってます。
想像してみてください。静岡の県知事が名古屋市の市長に対し、「お宅はうちの20分の1の面積しかないから、うちには勝てないよね。」と言ったら名古屋市長は何て言うでしょうか?まあ一言「た~け(アホの名古屋弁)」でしょうかね。
じゃあ戦国時代の尾張はどうだったのでしょうか?
ここからは次回に。