ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『信長公記』を読み解くその17-前田利家は何故桶狭間にいたのか?

ランキング参加中日本の歴史信長が中島砦を出ようとすると前田叉左衛門(後の前田利家)以下9名が各々頸を持ってやって来ました。(図1の①) 図1:『信長公記』首巻・巻二前田叉左等記述部分(改訂史籍収攬町田本)彼らは「鷲津丸根砦で佐久間大學達と一緒に戦ってそ…

『信長公記』を読み解くその16-信長はどの兵を指して「あの武者」と言ったのか?

ランキング参加中日本の歴史信長が中島砦から出撃しようとすると家臣達は必死になって止めようとします。そこで彼は家臣達に向かって「あの武者たちは昨日の夕方から兵糧を夜通し大高城に入れ、(今朝は)鷲津・丸根砦を苦労して攻め落とし、疲弊し切った武者だ」と…

『信長公記』を読み解くその15-佐々と千秋は何故玉砕したのか?

ランキング参加中日本の歴史信長が善照寺砦に入ると、それを見た佐々隼人正はやとのしょう*1と千秋せんしゅう四郎*2が「義元へ向むかいて足輕がるに罷まかり出」ます(図1の①)が、この記述に対し、多くの歴史家達がいろんな説を提唱されています。 図1:『信長公記…

『信長公記』を読み解くその14ー家康は大高城兵糧入れに苦労したのか?

ランキング参加中日本の歴史『信長公記』には「今度家康は朱武者*1にて先懸がけをさせられ大高へ兵糧入鷲津丸根にて手を碎くだき御辛勞しんろうなされたるに依よりて人馬の休息大高に居陣也」と書いてあります。(図1) 図1:『信長公記首巻』家康記述部分(改訂史…