ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

2024-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『信長公記』を読み解くその13ー何故文章が尻切れトンボになっているのか?

ランキング参加中日本の歴史『信長公記』の桶狭間山の文章にはまだおかしな箇所があります。 図1:『信長公記首巻』文章断絶部分図1をご覧ください。「御人籔ずう立てられ勢衆揃させられ様體ようたい御覧し」となっていて(図1の①)、その後改行され「御敵今川義元、、…

『信長公記』を読み解くその12-何故今川義元は桶狭間山に陣取ったのか?②

ランキング参加中日本の歴史今川義元が桶狭間山に陣取るまでを時系列で追って見ましょう。 図1再掲:『信長公記首巻』桶狭間山記述部分(改訂史籍収攬収録町田本)『信長公記』には義元は午の刻(11時~13時)鷲津・丸根砦を落として上機嫌になり、謡を三番うたった…

『信長公記』を読み解くその11-何故今川義元は桶狭間山に陣取ったのか?①

ランキング参加中日本の歴史『信長公記』は信長が善照寺砦に入った記述の後、突然場面は変わり「御敵今川義元ハ四萬五千引率しおけはさま山に人馬の休息在之」と書かれています。(図1の①) 図1:『信長公記首巻』桶狭間山記述部分(改訂史籍収攬収録町田本)そして…

【補論】その4ー簗田出羽守とは何者?

ランキング参加中日本の歴史今回は『信長公記』から離れて「簗田やなだ出羽守」について論じてみたいと思います。 簗田出羽守(通称政綱)については静岡大学名誉教授の小和田哲男先生*1が事あるごとに言及されておられます。 小和田先生は「桶狭間の論功行賞では、…

『信長公記』を読み解くその10ー岡部元信は何をしていた?

ランキング参加中日本の歴史信長は熱田から丹下砦を経由して善照寺砦に入り、砦の守備兵達を部隊に組み込んだ後、中島砦に入りました。 図1:鳴海城と丹下・善照寺・中島砦しかしここで大きな疑問が沸き起こります。鳴海城の岡部元信は目の前を信長本隊が通り過ぎて…