ようこそケビンの部屋へ

自称歴史愛好家ーここ10年「桶狭間の戦い」について考察を続けてます。

『信長公記』を読み解くその16-信長はどの兵を指して「あの武者」と言ったのか?

信長が中島砦から出撃しようとすると家臣達は必死になって止めようとします。そこで彼は家臣達に向かって「あの武者たちは昨日の夕方から兵糧を夜通し大高城に入れ、(今朝は)鷲津・丸根砦を苦労して攻め落とし、疲弊し切った武者だ」と訓示を述べます。(図1の①)

図1:『信長公記首巻』信長訓示記述部分(改訂史籍収攬収録町田本)

通説では「信長は沓掛から到着したばかりの義元本隊の兵達を昨夜兵糧を入れた松平元康達の兵と誤認した。」としていますが、近年話題になっている「後退追撃説」*1を提唱されている方々が「大高城から桶狭間に向けて撤退中の軍を指して言っているので信長の勘違いではない。」との説を主張されています。私も義元は大高から沓掛方面に移動中だと考えているので賛成したいところなのですが、信長がどこに居る兵を指して「あの武者」と言ったのかが問題なのです。
かぎや散人氏達は「漆山から高根山に撤退中の今川殿しんがり軍」としていますが、今川軍が大高から漆山を経由して高根山に向かったことを類推できるような史料はありません。*2
では『信長公記』に書いてある「戌亥(北東)に向て人籔を備」えた兵達でしょうか?

図2:中島砦→高根山高度プロファイル

義元は桶狭間山に在陣しているので、そこから北東方向でかつ、信長からも見えてる場所となると幕山から高根山一帯の丘陵地帯となります。しかしこの場所は中島砦から約2km以上も離れているので兵達は米粒程度にしか見えません(図2)。本当にこんな遠くにいる兵達を指して言ったのでしょうか?更にこの兵達は前回説明したように佐々・千秋を撃退しているので、疲れているどころか意気軒昂けんこうとしているように思えるのですが、、、*3
私は何故単純に「信長は鷲津丸根砦に残っていた兵達を指してつかれたる武者と言った」と考えないのか不思議でなりません。『信長公記』にしっかり「鷲津丸根に手をくだき」と書いてあるのですから。
確かに松平元康は大高城にて休息してますが、全軍鷲津丸根砦から引き揚げたとは書いていません。常識的に考えて、城や砦を落とした後、残兵探しなどの為に多少の兵は残しておく筈です。
信長は「つかれたる武者也」の後「懸らハひけしりそかは可引付ひきつくべし」(図1の②)と言ってるので、この兵達を攻めようとしていたとのではないでしょうか?
ただこの「懸らハ、、、」の文章にはちょっと問題があります。多くの方が「(敵が攻め)懸って来たら(我らは)引け、(敵が)退いたら(我らは)距離を詰めろ」と訳してますが、まず「懸らハ」の主語は普通に考えて「敵」では無く、一人称の「我ら」とすべきでしょう。更に「可引付」を「距離を詰めろ」と訳すのは無理があります。
かぎや散人氏は『信長公記天理本』は「懸らハひけ」では無く「か々らハ引」と「け」がついていないので、「(我らが攻め)懸れば(敵は)引く、(敵が)退いたら(我らは敵に)密着しろ」と訳すべきとしています。
私も前半部分は『天理本』の方が正しい(と言っても太田牛一が間違って「ひけ」と書いたのを天理本の写筆者が正しく書き直したとの意味ですが)と考えています。
ですが後半の「可引付」を「密着しろ」とするのはこれも無理があると思います。やはりここも主語を「我ら」にして「(我らが攻め)懸れば(敵は)引く、(しかし我らが)退いたら(敵は攻め懸って来るので、その時は)引き付けろ」と訳すのが一番スンナリ行くと思うのですが、ちょと変な文章になりますね。牛一は「可押付おしつくべし」と書くところを「可引付」と間違えたのかな?

図3:中島砦からの進軍予想図(今昔マップ1888年国土地理院地図を使用)

話が少し横に逸れてしまいましたが、もし「あの武者」が鷲津丸根砦あたりにいる兵達を指し、信長がその兵達を攻めようとしていたなら、中島砦から南南西に向かって進軍したことになります。それに対し義元がいる「桶狭間山」は中島砦の南東方向です。(図3)
これじゃあ「信長は中島砦から桶狭間と全く別の方角に進軍したことになるのになんで義元を討てるんだ⁉」となりますよね。
さあ「どうするケビン⁉」

*1:「義元は18日沓掛から大高城に入り、19日大高から撤退中桶狭間山に居る所を信長に襲われた。」との説で主にかぎや散人氏や竹内元一氏、水野誠一郎等『信長公記天理本』を研究されている方々が提唱されています。なお「後退追撃説」は竹内元一氏が名付けました。

*2:かぎや散人氏の説に対する疑問は7/21投稿の『信長公記』を読み解くその12-何故今川義元桶狭間山に陣取ったのか?②で述べていますのでそちらをお読みください。

*3:詳しくは前回『信長公記』を読み解くその15-佐々と千秋は何故玉砕したのか?の記事をお読みください。